本田宗一郎に学べ 絶対に失敗しない方法

自由時間

本田技研工業株式会社

この車屋さんは大番頭さんの

力で経営してきました。

その名は、藤沢武夫。しってますか。

多分日本の経営者としては

歴史に残る名番頭です。

本田宗一郎と藤沢武夫は通産省技官

竹島弘の仲介で知り合います。

いろんな物語で、二人は闇市で

知り合ったことになってますけどね。

藤沢武夫は文京区の出身で

東京で事業を展開していましたが、

戦争で福島に疎開し製材業を始めます。

本田宗一郎と約束を果たすため

行動します。

本田と「世界一のバイク」を作るために

福島の財産をすべて売り払い退路を断ちます。

本田技研常務に就任します。
この藤沢武夫がいなかったら、

本田技研は存続しなかった。

これは、事実です。

本田は工場、藤沢は本社で
経営をやりくりします。

藤沢が提案します。

ホンダのバイクが世界一で

あることを証明する必要があります。

イギリスのレースに参戦します。

イギリスのマン島TTレースに優勝します。

世界にHONDAの名前が広がった瞬間でした。

 

ホンダは車の開発と生産に入りました。

本田宗一郎は空冷エンジンを

主張します。

「ロンメルのドイツ軍が砂漠で

勝利したのは空冷エンジンだったからだ」

一歩も引きません。

本田宗一郎のイメージは

ビートルです。

空冷エンジンのビートル。

現場の技師は水冷エンジンをつくりたい。

社内では水冷エンジンを作ると行っている

技術者と本田宗一郎が対立します。

藤沢は熱海の旅館に若者技師を呼びます。

「会社を二分してどうする。」

設計図の説明を受け若手技師が

水冷エンジンを作りたい

という熱意で藤沢は本田を説得します。

「若いのがやりたいというからやらしてやってくれ」

ホンダは折れます。

そして、水冷エンジンの車が完成します。

「おい、水冷の車もいいもんだな」

「ありがとうございます」と若手技師と

工場の風呂に入っていた時です。

「おい、UFOはどうして飛べるんだ」

「は?UFOですか」

「そうだよ。写真があるじゃないか」

「わかりません」

そうしたら、湯船にいたわかい技師が

「おやじさん。飛行機も作ったことがないのに
無理ですよ。」

「飛行機な。おい、カブみたいな飛行機
作るか」

「二人乗りの飛行機ですか」

「ちがうよ。6人乗りぐらいで誰でも簡単に飛べるやつがいい。」

「いつからやるんですか」

「明日だ」

「はい?おやじさん。本気で言ってますか?」

「あー」

そして、本田は3年ぶりに本社に出社する。

専務の藤沢武夫がまっていた。

「おやじ話があるんだけど」

「おれもある」

「おやじ、工場にしか、いかねーから苦労したぜ」

「話はなんだ」

「そろそろ、やめにしねーか」

「おれもそれを言いに来た」

本田宗一郎と藤沢武夫の引退がきまる。

藤沢は顧問にも就任することなく

六本木の古物商として死んでいった。

そして、

おやじと呼ばれた本田宗一郎の遺志を
ついだ技術者は本田宗一郎の13回忌に
間に合わせるがごとく

アメリカで

HONDA JETを飛ばした。

30%飛行距離が延びた省エネ型
小型ジェット機を発売する。

本田技研は親族関係者の
入社を認めていない。

全て興信所をつかい
社内に親類縁者がいないかを
チェックしている。

かりにばれると解雇だ。
取引先の関係者もだめ。

この会社に集まるのは
夢を形にするものだけなのだ。

どんな仕事でもそうだろう。

夢を形にする。

「親父の口癖知ってますか。いつもこう言ってました。

俺は絶対に失敗しない。成功するまでやり続けるから

目的達成のために、何が必要か考えてみた。

同じ目的にむかって、しゃにむに前進する仲間と

目的に向かって活動する社員が見上げる不動の経営者であると。

 

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