成功の反対は失敗ではない 行動しないこと

大学時代のゼミ生が久々に集まった。そこで語られたのは、出世自慢と企業の没落についてだった。大学卒業して20年ぶりに再会した優秀なる学生は、ただの落ちぶれたおっさんになっていた。美しさをほこり憧れの美女はただの太ったおばさんに変わり果てていた。

大学時代の友達の自慢と衰退話大会が始まった

名刺交換から始まるのだ。懐かしい顔がいる。大学院にまでいって大学教授になれたものもいれば、脱落した者もいる。不思議なもんだ。いつもゼミを適当に出てきてさらりとかわしてきたやつが出世している。そんなものかもしれない。そして、俺の名刺を渡すと100%「え?会社辞めたの?」と質問してくる。「辞めましたよ。今では気楽にパートの美女と楽しく会社を経営している」と言えば、「年収はいくらになったの?」と金の事しか聞かない。

かと思えば、倒産するはずがないと思っていた企業に就職したはずの者が悲壮感に浸っている。企業は永遠ではない。東芝、神戸製鋼所、日産自動車はどうなるのだろうか。そんなことが話題になり、話題の会社の社員がいる。無神経というかそれを超えて、優越感に浸る安泰組がいるのだ。

私が勤めていた会社は90年代に企業としてのピークをむかえた。ボーナスに別封がつくくらい金払いがよかった。電通は90年代まで社員に払うボーナスは組合員平均で年間14ヶ月分支払ってきた。つまり、100万円の給与をもらっているとボーナスは夏に700万円、冬に700万円だ。これも今では過去の栄光に終わっているけど、この時もらった金を溜め込んで不動産投資した社員は今でも元気に電通で働いている。

財閥系の企業に就職したから安泰という時代は終わった。三菱グループは三菱自動車を斬り捨てた。多分、親会社の三菱重工が戦闘機、民間機の開発にともに成功していない状況で、金だけが出て行った。つまり、キャッシュフローが枯渇しているのだろう。研究開発の仕掛経費が膨大に膨らんでいる。受注した民間航空機の納品がいつになるのかわからない状況なのだ。

これらの企業の当事者たちが、ゼミ生にいる。彼らは格好の取材元になった。なんとも興ざめな風景だった。そこに体育会系の盟友がやってきた。「おい、おもろくないから出ようか」というから静かにきえた。

二人で消えようと思ったら、そこに3名がついてきた。先生に挨拶をして会場のホテルを去った。4人の話を聞くと大変だ。業績不振からリストラされた者が1名。早期退職制度で脱サラしたけど事業に失敗して家族が離散した者など、みんな大学時代の無謀なまでの生活を謳歌した時のパワーはなかった。

その中でたった一人普通に生活を楽しんでいるのは私だけだった。

人生はいつもいい時代を生きられない

ゼミ生で一番輝いていたのは、永遠の美女だった。大学時代に同棲してた彼は当時45歳の会社経営者だった。卒業まえに綺麗に別れて就職した会社の近くに引っ越した。大学4年間ほぼ自分の年齢と2回り上の男と同棲していたから、卒業式には「離婚した気分」と言っていたことが印象的だった。彼女は5年間勤めた広告会社を退職して自分で企画会社を経営していた。この経営が軌道に乗ったのが、三年ごでそれから快進撃で事業を多角化して大成功をした女性起業家だ。当然、独身であるがパートナーはいる。そんな、彼女も倒産の危機に見舞われている。

その時をどう乗り切ったのか。それを知りたかったがその場では何も語らなかった。私が、起業して会社経営をはじめたことを歓迎してくれた。「会社の経営を初代でやっている人と話したかった」とね。「凡の話はいいわ」と切り捨てる。

規模は違えども企業経営は真剣勝負だ。株主がいる。株主に納得してもらう業績を出していく。銀行に決算の報告をして安定企業だと認定されないと運転資金の枯渇を招く。金のなる木を手放した東芝はこれから地獄を見るはずだ。なぜなら、売れるものがない。それを作り出す企業体質ではない。それに比べて、中小企業は経営者=企業風土になりいくらでも変えることができる。人数が少ないからこそ、やる気を出させる施策も簡単に作れる。これが成功すると面白いのだ。

企業が給与をあげないなら、自分であげる

私が一人でネットビジネスをはじめたのは、会社の業績が好転する見通しがなく確実に給与がカットされ続けるからである。そんな企業にいたのだ。就業規則ではアルバイトは禁止だった。だから、ネットビジネスは大丈夫だと人事部と法務部の確認してから取り組んだ。営業職に長くいたから体のダメージも相当だった。自分から定時に帰宅できる部署への異動を申し出て時間を作ったのだ。会社に入社して初めて週休2日の生活をはじめた。そして、毎日、4時間パソコンに向かって自宅で仕事をしたのだ。もともと、接待で深夜帰宅を続けていた時間に必死で勉強してやり続けた。独学でやる限界を感じてネットスクールに入った。1年間やれば稼げるようになるだろう。そう思って、頑張ってきた。好きなゴルフはやめた。酒を飲みにいくのも週に1回にした。土日はただひたすら、カフェでサイトを作っていた。

これを12か月継続してみたら、月に30万円稼げるようになり、18ヶ月後に70万円を超えて、24ヶ月目で120万円を超えた。さらに36ヶ月後には月に900万円平均で稼げるようになった。そして、会社に辞表を出して自分で事務所を探して、パートを雇って独立した。諦めようと思ったことは何回もあった。

特に稼げなかった10ヶ月は妻から「再就職して」と迫られたし、やめた会社からは「戻ってこい」と言われた。でも、続けた。俺が失敗するはずがない。これが俺の信念だった。やり続けたら成果が出てきた。これで退職金と失業保険の食い潰しはなくなった。本当に大変だった。

新たなパートナーの登場

輸入雑貨からカフェ、リストランテ経営、下着屋さんなど多角経営する同級生との再開は自分の事業をさらに飛躍させた。彼女ができないSNS、ネット広告の戦略を構築して実施した。その結果、彼女が求めていた結果が出た。最初は千円のFacebook広告を20セット作り反応がいいものを追加して展開する。じわじわと集客が悪かったカフェに人が入りはじめた。客単価をあげるために、40、50代を対象にしたセミナーを実施して、カフェにくれば、新しい情報が入ると信頼を勝ち取ってきた。そして、さらに新たな事業を展開することができた。彼女の経営センスはすごい。採算が取れないと判断するのは利益が上がっている時で、下降線が出てきた段階でスパッと切り捨てる。

継続できない理由は、どこかでサボっている!

サボりぐせのある人はまずできないのがネットビジネスだ。面白ものだ。最初はパソコンの使い方もアプリの使い方も分からなかった。そんなおっさんができたのだ。サボらずにただ成功する事を信じて、AMCの質問メールとスカイプ診断とネット診断を受けて必死に取り組んできた。その結果が、今の数字だ。楽しいぞ。自分で給与をあげるということができると、なんでもできるよ。

成功の反対は失敗ではない。 行動しないこと!

 

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